いよいよアンコール遺跡群を回り始めたシェムリアップ滞在2日目。
アンコールワットの朝日を見た後は中に入り、まずは第1回廊の壁画を見ていきました。
アンコールワットの落書きは十字回廊にあり!
アンコールワットは第1回廊が1番外側にあり、内側に上っていくにしたがって第2回廊、第3回廊、中央祠堂へと繋がっていきます。
▷ 参考ページ:アンコールワット十字回廊と第二回廊|アジア写真帳
この第2回廊と第3回廊を繋げる十字回廊に、江戸時代に日本人が残した落書きを見ることができます。
上からぐちゃぐちゃっと塗りつぶされている部分があるかと思いますが、その下に日本人の落書きが残されているのです。
塗りつぶされたのはポルポト政権時代だとのこと。
落書きには
寛永九年正月初めてここに来る
生国は日本
肥州の住人 藤原朝臣森本右近太夫一房
御堂を志し数千里の海上を渡り
一念を念じ世々娑婆浮世の思いを清めるために
ここに仏四体を奉るものなり
と書かれています。
アンコールワットの落書きを書いたのは森本一房
これを書いたのは旧松浦藩士の森本一房。
実は森本氏は、アンコールワットを他の寺院と間違えて訪れていました。
その寺院とは、インドの「祇園精舎」です。
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」のフレーズで有名な祇園精舎ですが、そもそも祇園精舎とは、お釈迦様が何度も説法をしたインドのお寺のこと。
森本氏は、祇園精舎を目指しており、その道中巡り合ったのがアンコールワットだったのです。
あまりに壮大なアンコールワットを前に、
「これが祇園精舎に違いない!」
と確信し、その感動を込めて書いた落書きがこれだったそうです。
当時は世界地図などの情報が圧倒的に少なかったので、それが祇園精舎ではないとは気付けなかったのでしょう。
遺跡に落書きをするのはいけませんが笑、当時は、日本人が誰も来たことの無い異国で、これほどまで偉大な遺跡に辿りつく達成感は計り知れないものだったのかもしれません。
その中で自分が確かに辿り着いたのだという証を残したくなる気持ちは分からなくもありませんね。
この落書きはトリビアの泉でも紹介されていましたので、良かったら観てみてくださいね!
アンコールワットの第3回廊~中央祠堂
最後は第3回廊から中央祠堂を見学して行きます。
中央祠堂の真下から撮った写真です。
中央祠堂に入れる人数は限られているため、並んで順番を待ちます。
中央祠堂は肩やひざが出ていると入れないので要注意です。
急な階段を上って中へ入っていきました。
中では写真を撮れませんでしたが、隅々まで見ることができ大満足です。
アンコールワットはとても広大で、細々と見るには1日では足りませんが、今回ご紹介した部分は簡単にチェックすることができますので、ぜひご覧になってみてくださいね!
次からはアンコールトムなどの他のアンコール遺跡をどんどん回っていきます!
ぜひまたお読みいただけると嬉しいです!^^
それでは、最後までお読みいただきありがとうございました!